ああ、またこんなんだ

とりあえずBBSは放置させてください。




ええと、ちょっと何て書いていいか分からないんですが、思いつくままに書こう。

5月の21日、祖母が亡くなりました。
父方の祖父母は、僕が生まれたときすでに亡くなっていて、
母方の祖父が亡くなったのが僕が4歳の時。


たった一人残った祖母で、そりゃあもうおばあちゃん子だった僕には大切な人でした。5人の孫の中で、男は僕だけだったので、とってもかわいがってくれました。

この20年近く、内臓はとにかく丈夫だったけど怪我や事故で、痛みとつきあい続ける人生でした。


この1月にも転倒から足を骨折、入院。
退院後、入所先の施設で誤嚥(食べ物や飲み物が食道でなく気道から肺に入ってしまうこと)が原因の肺炎を起こし救急車で搬送され再入院、およそ一ヶ月。容態は安定しつつあったものの、熱発から急変し、呼吸困難から心停止にいたりました。

家族、親族の誰も、その瞬間には立ち会えませんでした。
その時、僕は入院先の病院(埼玉県戸田市)に家族全員で車で向かっていたところでした。


5月21日、午前10時20分。一緒に車に乗っていた父の携帯電話が鳴り、祖母と同居していたいとこから「病院から呼吸困難と知らせがあった。今、母(僕にとっては叔母)が向かっている」との知らせ。単にお見舞いに行くはずだった僕らは、「まさか」としか言えませんでした。


実際には、その時祖母の心臓はもう停まっていました。
心停止から約40分。僕が病室に入ったのは11時ちょうどくらいでした。


当直の医師から説明があり(よく憶えていませんが、「昨夜から熱が出た」とか「呼吸は安定していた」とか)、「死亡の宣告をさせていただきます」と言われたとき、もう、ホントにただ、「うわぁ・・・。ウソ・・・」としか感じませんでした。


その後は、映画「お葬式」をまるで地でいく感じ。
あっという間に、ただ淡々と、滞りなく葬儀の日程が決められていきました。

昨夜、仕事を早退して通夜に出席、本日は欠勤して葬儀、告別式に出席しました。


初七日の繰り上げ法要、火葬、精進落としも含め全てが終わり、帰宅したのが今日の午後6時頃。フシギと涙は出ませんでした。あんなに大好きだったおばあちゃんなのに。何でだろう?



僕の姉が小さい頃、舌が回らず、「おばあちゃん」と言えずに「ちゃーちゃん」と呼んでいたから皆から「ちゃーちゃん」と呼ばれるようになってしまった祖母。


小さい頃、母に叱られるとかばってくれた祖母。


足を捻挫したとき、蜂に刺されたとき、うどん粉かなんかで自家製湿布を作ってくれた祖母。


犬が大好きで、猫も大好きだった、ニット帽の似合う祖母。


あまりに僕がおばあちゃんにベッタリなので、このままではこの子に良くないと、一人暮らしをはじめた祖母。


でも、しょっちゅう遊びに来て、近くの公園に遊びに連れて行ってくれた祖母。


お小遣いをたくさんたくさんくれた祖母。


一人暮らしのその家は、勤務先の病院の消毒薬のにおいでいっぱいだった。


その家は、高校の通学路の途中にあったから、帰り道お腹をすかせて寄った僕に、いつもレトルトのカレーなんかを食わせてくれた。


叔母と一緒に暮らすことになり、埼玉に引っ越してしまった祖母は、もともと持っていた認知症が進み、何年か前に僕の家に数泊したときは、僕を見て「あら?あなたどちらさん?」と何度も聞いた。あの頃はまだ、「ああ、ヒロシなの、大きくなったわねぇ」と思い出してもらえた。

最後の数ヶ月は、僕どころか、母や、一緒に暮らしている叔母でさえ分からなくなっていた。

4月中旬に見舞った時は、それでも美味しそうにイチゴを食べさせてもらっていた。「オレのこと分かる?」 そう聞くと、申し訳なさそうに「ウフフ」と笑顔でごまかしていた。


5月の4日、GWに休みが取れた僕は、電車で入院先の病院に向かった。数日前に見舞った母から、「酸素のチューブとか付けられて、鼻から栄養入れられてかわいそう。いつ、何があるか分からないから行っておきなさい」と言われたからだ。

僕は、母から聞いていた病室に恐る恐る入ったんだけども、祖母は、酸素チューブは外されて、少し苦しそうに息をしながら窓の外を見ていた(ように見えた)。

「ちゃーちゃん。」僕は声をかけた。

少し首を動かしてこちらを見た祖母は少し戸惑っていたようだったけども、「分かる?孫のヒロシだよ」と大きな声で言うと、「分かる分かる」というようにパァッと微笑んだ。


入れ歯を外した祖母の言うことは、98%くらい聞き取れない。
でも、「酸素取れたんだね?」と聞くと。


「昨日取れた」



そうハッキリ言ったんだ。


この言葉が、僕が最後に聞いた(聞き取れた)祖母の言葉になった。



その後も、苦しそうな呼吸のもとで何かいろいろ喋っていた。でも、ホントに聞き取れなくて、聞き返すと呼吸が苦しそうで、僕は分かったフリをして、ニコニコ笑いながら適当に相づちを打ってしまっていた。

小一時間ほどして、少し疲れたように見えた祖母の髪をなでて、「また、来るよ。今度は家族みんなで来る」僕はそう言った。



そうして、約束通り病院に向かっていたのに。




ホントに、何にも出来ない孫でごめんなさい。

ちゃーちゃん。しばしのお別れさ。

あと何十年かして、そっちに行ったらちゃんと謝るし、うんとサービスするよ。それまでおじいちゃんとケンカせずに仲良くね。お願いだから(苦笑)。



というわけで、思いのままにつらつらと書きつづってしまいましたが、皆さま、思ったより凹んでない自分が奇妙でならないくらいのヒロチです。

また、大変失礼ながら、
祖母、ミドリの喪中につき、年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます。